1854年安政元年 紀伊半島一帯大津波が襲いました
濱口梧陵は稲穂に火を放ち
村人を安全な場所に誘導し
災害から人命を救いました

(安政元年)11月4日、5日の2回にわたって襲った南海の大地震に際し、

偶然故郷の紀州・広村(現在の広川町)に戻っていた梧陵は、
海水の干き方、井戸水の急退などにより、
大津波が来ることを予期しました。
梧陵は村民を避難させるため、田圃に積んであった収穫された
稲束(稲むら)に火を投じて急を知らせ、村民の命を救ったといいます。
この行為に感動した明治の文豪・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、
「仏の畠の中の落穂拾い」という短編集の中で、
‘A Living God(生ける神)’として梧陵を紹介しています。
のちにこれをもとにして、小学校教師であった中井常蔵氏が著した物語
「稲むらの火」は、昭和12年から昭和22年まで国定の小学国語読本に採用されました。
(ヤマサ醤油のHPから引用しました)