いつも仕事でお世話になっているテクノデータハウスさんのブログの中に素敵なお話がありましたので、皆様にも紹介させていただきます。

●恩返しのタイミングは難しい
困っているときの親切は身に染みてありがたいものです。
「いつかお返ししよう」と思うのが人情でしょう。
ころが、助けれくれた本人に恩を返すのは、タイミングや何やらで案外難しいもの。
「ありがとう」の言葉だけでは尽くせない恩を、どう返せばいいのでしょう。

●「恩送り」とは?
困っている人に出会ったら、自分が受けた恩を思い出して目の前の人に親切にする。
これを「恩送り」といいます。
助けてくれた本人に恩返しするのは難しくても、恩送りならどうでしょう。
たまたま恩を受けた人からまた別の人へ、次々と感謝の気持ちが伝わって広がっていく。
みんなで恩送りをすれば毎日のニュースで見聞きする悲しい事件も少しは減って、今より心豊かな世の中になるように思います。

●家族の間でも恩送り
気持ちがすれ違ってしまう夫婦や親子、ぎくしゃくしてしまう嫁姑。
家族の間こそ恩送りが必要かもしれません。
けれど現実はそうもいきません。主婦は毎日、家族のためにあれこれと心を砕いて世話を焼きます。
それなのに相手は感謝するでもなく、それが当然のような態度。
時には「余計なことをしないで」とまで言われ、「こんなにしてやっているのに!」とがっかりすることさえあるでしょう。
思いやりでしたことを恩の押し売りだと言われ、お互いに恨みがましい気持ちになったのでは恩送りどころではありません。

●すべては恩送りに通じる
しかし、ちょっと見方を変えてみれば何でも恩送りの気持ちに通じるように思います。
自分も今まで、周りからの思いやりに気づかないままたくさんの人から恩を受けてきたはずです。
「家族のために」と思ってしていることが、実はその恩送りだと考えたらどうでしょう。
あなたが家族に送った恩がやがて我が家を飛び出し、回りまわっていくところを想像してみてください。
家族に恩送りすることで、あなたを助けてくれた人にも間接的な恩返しができるのです。
そう考えると、「こんなにしてやっている」いう気持ちから少し開放されませんか。

今は亡き母から言われた言葉に、恩は受けた人に返せないけど、他の人にしてあげることができる。人にしてもらってうれしいことはこの上ない喜びだが、人に返せないと一人前に人間とちゃう。
話はズレますが、先日奈良へ行ったときの電車の中でのことです。
友達5人と席に腰をかけていたのですが、私の後ろに立っている高齢者の人がいて、友達が見つけ席を譲りました。
その友達も膝関節を悪くしていたので、私が立つことにしたのですが、ちょっとしたきっかけで天王寺まで話がはずみ楽しい旅になりました。
又昨日の事ですが、ちょっとほしい道具があって大阪まで行ってきました。
夕方ちょっと早めに電車に乗り込みました。途中天王寺で席が空きました。すぐ近くにいた若い方が、いきなりお尻から座り込んできました。
一言いっていただいたら詰めてあげたのに、阿吽の呼吸もありませんでした。
膝に載せていた大事な道具はセーフでしたが、次の駅で別の車両に乗り込みました。

又、先日私の住む川沿いの狭い道路に両方から車が近づいてきました。
昔からの狭い道なんで地元の人はどちらか広い対向スペースがある方が待っていると言うのが暗黙のルールなんですが、この日はしばらくにらみ合いが続き、結局営業者に乗った方がバックしていました。
その後軽自動車の方は、お礼の挨拶もしないまま何事もなかったように通りすぎていきました。
今の世の中は殺伐とした空気感がありますが、せめてお互い人間同士挨拶だけでも交わしたいものだと思いました。